元船町自治会

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元船町の歴史

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明治37年の第2期港湾改良工事で、当時、今の五島町、樺島町辺りの海岸(大波止海岸)前の海を埋め立てて作られた所で、長崎港開講当時、現在の長崎駅付近まで、唐蘭船の寄港する大きな波止場で、元は船町だったことから ”元船町”と名付けられた。
当時は、5番地の区分けでしたが、昭和48年の町界町名変更で、玉江町3丁目の一部と旧元船町を合併して今の”元船町” が誕生しました。
参考文献:長崎事典(長崎文献社)


大波止の鉄砲ン玉

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島原の乱で一揆が立てこもった原城を攻略するため寛永5年(1638年) 正月、長崎で鋳造された石火矢玉と言い伝えられるが、正確な記録はなく、砲身もまた実物・記録ともにない。
実用に供されることもなく、以後350年間、大波止に置かれ”鉄砲ン玉” と親しまれた長崎名物である。
*直径56cm・重量560kg
長崎七不思議の一つに”玉はあれども大砲なし”という。 地元の元船町が、くんちに出す傘鉾の飾り物に、このひな形を用いています。
1986年3月製作の長崎市銘板より


長崎くんちの元船町

昭和48年元船町と玉江町の一部が合併して出来た町。
昭和33年まで近隣の町を含めて大波止町の名前で「入船祭(ボサ祭)」を奉納した。
寛永11年、くんちが始まった時に大波止に御旅所が置かれた。
*現在の文明堂総本店の辺り
その後、前面の海の埋め立てが進み御旅所の位置は何度か変更されている。
「長崎くんちフォーラムより抜粋」


長崎くんちの元船町「永島正一氏」紹介

元船町は、前に「大波止町」の町名で、「入船祭り(ボサあげ)」を出し、のち元船町で、「唐船祭」となったものであろう。
入船祭りは、長崎出身の大衆作家・平山芦江さんの考案であった。
生涯長崎、と長崎を恋いこがれた平山芦江さんの最後の企画であった。
昭和二十六年、この出し物を見るために帰郷し、その後間もなく亡くなった。
「泣いて笑うて人生五十旅した故郷の夢まくら」
「オランダ好みと唐人好み先祖先祖の足のあと」
 芦江の本領は小説でなく、むしろ小唄(こうた)、都都逸(どどいつ)にあるといった人がいるが、多くの小唄、都都逸を作り、「街歌」と称して、その普及に努めた。
小説の代表作は「唐人船」上下二冊である。 *昭和53年長崎新聞「くんち長崎」より


長崎くんちの元船町「越中哲也氏」紹介

明治三十七年、長崎港湾工事のため、大波止の前面の海の海域を埋め立て、この町の地域が造成されたので、町名を昔の波止場に因んで、元船町と名ずけ、踊り町に参加した。
傘鉾も、大波止の名物「鉄砲玉(テッポンタマ)」を中心にして、錨と鶴を配していた。
奉納踊りも、昔、長崎の港に入港し、ここ大波止に着岸していた唐人船を出している。
唐人船には、唐人の服装をした、町内子供連中が乗り、これも、中国より購入した唐楽器をつかって、龍囃子(じゃばやし)をはやし、鉄砲花火がならされ、長崎くんちの異国趣味をかきたてる。
「長崎くんちフォーラムより抜粋」

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